実家の両親を初めて家に呼ぶ【マイホーム生活】
こんにちは、やんともです。
千葉県内に中古戸建てを購入し、マイホーム生活を始めてから10ヶ月が経ちます。
嫁の実家は近いため、お義母さんは何度も家に来ています。
(お義父さんは嫁が子供の頃に逝去)
一方、私の実家は遠く長崎なので、私の両親は家を買って以来一度も家に来れていませんでした。
先週末ようやく両親を家に呼ぶことができたのでその時の話と、息子が実家から遠く離れた地に家を購入した親の気持ちについても触れて、記事を書かせて頂きます。
1.実家を離れて15年、とうとう他県に家を持った私
2.初めて両親を家に招待する、会うのも3年ぶり
3.両親滞在中の生活
4.家の話題にもなり
5.最後に
1.実家を離れて15年、とうとう他県に家を持った私
私は長崎県佐世保市というところで生まれ、高校卒業まで地元で過ごしました。
私が小学校に上がる前に両親は今の実家を建てました。
2人とも学校の教師をしていましたが、数年前にリタイアしています。
高校を卒業すると千葉県内の大学へ進学しましたので、そのタイミングで実家を出ました。
なぜ長崎から千葉の大学へ進学したかと言うと、一番の理由は東京の街に憧れていたからです。
完全に田舎者のお上りさんです。
高校2年の修学旅行で東京を訪れてから、絶対にこの街に住んでやろうと思っていましたが、都内の大学に入れるほどの学力はなく、その周囲ということで千葉の大学を選びました。
大学卒業後は東京の会社に就職し、配属先の大分で7年半住過ごし、今から3年前に東京へ転勤となり再度千葉へ住むこととなりました。
千葉出身の嫁とは大学時代に出会い、大分配属中に結婚し、再度千葉に戻ってきました。
大学時代も就職してからも帰省することは度々ありましたが、長崎に定住するのは高校生の時が最後でした。
千葉に引っ越して2年目、実家を出て15年経った時に千葉県内に今の家を購入しました。
転勤族の私が千葉に家を買った理由は
- 今でも東京近辺に住みたい願望がある。
- 嫁の実家も千葉県なので嫁が落ち着いて生活できる。
- 大学時代住んでいたので土地勘と馴染みがある。
- 東京に転勤してから住んでいた街が気に入った。(当時はマンション)
です。
結局、東京に憧れを持って千葉の大学に進学したことがその後の人生に大きく影響したなと思います。
持ち家を持った理由の1つは、子供のために本拠地を定めたいという考えからでしたので、この先何もなければここに永住するつもりです。
さて、実家から遠く離れた千葉に家を購入したことについて、私の両親はどう思ったのでしょうか?
最初に話をしたのは、家探しを始めた頃です。
「こっち(千葉)で家を買うことにしたから」と電話で伝えました。
父親は「あ、そう」という反応でした。
一方母親は寂しく感じたんだろうなと思います。
電話をしたときの反応がそんな感じでしたし、家が決まった後もやんわりそんなことを言われました。
大学進学の時ももっと近くにして欲しかったようですし、その後もいつかは家族を連れて地元に帰ってくることを期待していたようです。
母親ってそんなもんなんでしょうか?
私も私の父親と同じで、自分の子供たちがどこに住むことになっても好きにすればいいと思います。
一方で私の嫁も、子供たちが遠くへ出ていくことを想像すると寂しくなるようです。
2.初めて両親を家に招待する、会うのも3年ぶり
今回両親を家に招待しましたが、そもそも両親と会うこと自体3年ぶりです。
最後に会ったのは東京に転勤する前の大分に住んでいた時です。
大分⇔長崎は比較的近いのでよく帰省していました。
しかし、東京に転勤し千葉に移住してから数か月後にコロナウイルスの感染拡大が始まり、お互いに行き来できない状況でした。
時々、LINEのビデオ通話で家族揃って会話はしていましたが、直接会うことはありませんでした。
今年に入ってからは行動制限も緩和傾向になりました。
ただ、こちらは昨年末に2人目の子供が生まれたばかりで、もうしばらく長距離移動は控えたかったので、「遊びにくれば?」と伝え両親の方を呼ぶことにしました。
もちろん両親も久しぶりに孫に会えるということで喜んでいました。
2人目に至っては会うのは初めてです。
嫁も1週間ぐらい滞在してもらっていいと言っていましたが、私の祖母たちの介護が必要ということで3泊4日の日程で来ることにしました。
3.両親滞在中の生活
両親は金曜日の午後に移動してきました。
息子を連れて最寄駅まで迎えに行きました。
滞在中は1階の和室に寝てもらいます。
両親が家に着いてとりあえず安心したのは息子(4歳)がすぐにジジババと打ち解けたことです。
最後に会ったのは3年前で息子は全く覚えてませんし、この3年間はLINEの画面越しの会話のみでした。
息子は相手によっては人見知りすることもあるのですが、ジジババに対しては初日から素を出していました。
レンタカーを借りて水族館に行ったり、嫁側のお義母さんも呼んで家で食事したり、千葉と我が家を満喫してもらいました。
1日はジジババと孫だけで市内のイオンモールに行って遊びと買い物を楽しんでもらいました。
イオンモールから帰ってきた息子はしっかりと日輪刀をゲットしていました。
4.家の話題にもなり
両親は家にも興味を持ってくれたようで、滞在中は何度か家の話題になりました。
私からは、
- 売主さんが自分の大学の教授であったこと
- 売主さんは今駅前のタワーマンションに住んでいること
- 最近は不動産価格の高騰に加えウッドショックや電子機器の高騰で家が高いこと
- この家は築18年だけど管理状態が良かったこと
- 中古でも快適に過ごせること
などを話しました。
30年前に田舎に家を建ててローンも払い終わっている両親にとって、不動産価格の高騰やウッドショックは全く知らない世界の話だったようです。
私と同じく工学部を出ていて、工業高校の教師だった父は家の構造などにも興味があったようです。
この家はツーバイフォー工法で壁で家を支えていると教えました。
一方で実家の話題にもなりました。
実家は土地が200m2、建物が122m2の2階建て5LDKです。
今の私の家が土地120m2の建物109m2ですので、建物は一回り大きいぐらい、土地は1.7倍ぐらいです。
何が大きく違うかというと、まずは庭が大きいことと、敷地が塀やフェンスでしっかり囲われていて門と門扉があることでしょうか。
家の中も1部屋多いですし、広さにはゆとりがあるような気がします。
現在の地価は千葉の方が3倍ほど高いです。
ただ、首都圏の家はとにかく土地が狭いので、今の家の近所で新築建売りを買うと、総額は実家とそこまで変わらないです。
今の家の広さで生活できるなら、地方で同じぐらいの面積で家を建てれば住宅ローンもかなり楽なはずですが、地方でこのぐらいの戸建てを持つとかなり違和感があるので、やはり広い家になってしまうのでしょうね。
実家は築30年近いですが、その間に屋根・壁の補修を2回やっているようです。
1回あたり200万円かかったとか。
知らない間にオール電化にもなっているそうです。
我が家も屋根・壁の補修は考えていますし、給湯器もいつかは電気給湯器になると思いますので、似たような道をたどるのだと思います。
5.最後に
金曜日から3泊4日滞在した両親を月曜日の朝に最寄駅まで送っていきました。
そのまま日帰りで日光を訪れ、東京のホテルに1泊して長崎へ帰りました。
私も30代中盤ですので、頻繁に親の顔を見たいとは思いませんが、孫2人と家を見せることができ、息子の私としてはホッとした部分はあります。
次回は久しぶりに実家に帰省して、子供たちに地元を見せてやりたいです。
幸い働き方改革が起きたので、ピーク期を避けて帰省して長めに滞在し、実家からテレワークすればよいかなと思います。
下の子がもう少し大きくなって早ければ冬頃。
LCCで帰るか、車を運転して帰るか検討中です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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